ー米百俵伝説ー 点から面(1995年9月)
《前 編》
平成7年9月のこと、兵庫県尼崎市に住むY酒店さんがある決心をしました。「やるでー」。
米百俵をやっている関西の仲間のまとめ役をかって出たのです。
「よし、一回目の会合を開くで。そこで仲間が集まって裸になって真剣に話し合おう。」
私はYさんとはそれまで一回しか会ったことが無く、その話しも風の便りに聞いたもので頑張ってるなぁと輪の外にいました。
が、直接電話がかかってきました。
「尼崎のYやけど、今度の会合に新潟から二人ぐらい呼ぼうと思うんや。それで栃倉社長さんに聞いたら相場さんも是非誘ってやってくれ言うとった。一週間後なんだけど兵庫まで来れる?」
私は「絶対行きますよ。」二つ返事で返しました。
嬉しかったですね。栃倉社長さんにも本当に感謝しました。
一週間後、北陸線「雷鳥」に揺られること6時間、新潟のO酒店さん、栃倉社長の息子さん
恒明さんらと共に兵庫の地を踏みました。
Yさんがホームまで迎えにきてくれ昼間は兵庫見学(震災の爪痕も見ました。まだまだひどいもので、そのままの状態の建物もたくさんありました)の後、Yさんの商売に対する考え
蔵元と共に歩もうとするその姿勢を関西名物お好み焼きを食べながら聞かせて頂きました。
で、いよいよ夜本番。新潟からは蔵元を含め3人、関西から7人、業界の新聞記者のTさんで行われる予定だったのですが突然、発表がありました。
「実は茨城県からTや酒店さんを呼んだんや。」
私は心の中で「ヒェーッ、Tやさん!あの方が来られるの!」と仰天。Tやさん…。本名Tさん、青春時代やんちゃで元気すぎて世の中に反発して生きてきたのですが、ある人物との出会いがTさんを変え、酒屋として生きていくことの楽しさ、地元の酒蔵と共に歩んで行くことの尊さを知り、持ち前のカリスマ性で仲間を引っ張っていく、酒屋界の若き首領と言われたお方です。
そのTさんが全然自分達と関係無い会なのに自費で茨城から兵庫に駆けつけてくれました。
ギブ&テイクの精神ではなくギブ&ギブの精神で。
Tさんが仲間の酒屋さん二人を引き連れ登場しました。
うっ〜!でかい。顔もこわい。が私の第一印象。殴られたら痛そうだ。
最初は自己紹介と、なぜ米百俵をやりたいのかなど各自順番に言っていきました。
全員が発言した後、Tさんの目がキラリと光り、
「何かっこつけてるんだっぺ」「おまえら米百俵を売りたいんだろ」
「そんなんで消費者に伝わるか。オレだったら買わないな。」
のっけからの先制パンチ。かなり突っ込んだ会になりそうです。
後編につづく
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