千 利 休 (2001年秋冬号)
先日、テレビで茶人の千利休の話をしていました。
それが結構おもしろかったなぁ。
千利休が若い頃、当時の茶人の第一人者、武野じょうおうに弟子入り志願。一発で入門許可をもらい、明日から来なさいと言われると「明日は来られません。思うところがありますので三日間猶予を下さい」と返答。
三日後、師匠の前現れた利休は綺麗に髪を剃り上げ、坊主に茶人の衣服をまとって、茶の湯の世界に臨む決意を見せたとか。
結構、無骨な人だったみたいでその後、豊臣秀吉の側近まで上りつめても秀吉といつも正反対の意見で対立。(例えば秀吉の金の茶室と利休の木と土のわびさびの茶室)
実力をつけた利休が秀吉にとってはついに邪魔になり、何と切腹の命令。
秀吉の母か妻を通じて詫びれば命は助かったものの、茶人としての生き方まで秀吉に屈する訳にはいかないと、利休は自ら切腹の刑を受けたそうです。
(それでも切腹の直前、介錯人にいっぷくのお茶をもったそうです。
この行動は人によって意見が分かれるところですが、ひとつ言えるのは利休の死後、約四百年利休の造った茶の湯は今でも延々と受け継がれているということです。
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