旧だっちもね通信 アーカイブス




佐 賀 に 行 く (2002年春夏号)                                             


   
  
今年の一月から、うちの店の棚に新しいお酒が並びました。
九州は佐賀県塩田町、瀬頭酒造さんのお酒「東長」(あずまちょう)です。
お付き合いが始まったのは今年の一月からですが実は去年の六月にかみさんと二人で瀬頭酒造さんの元へお伺いしてきました。
東長さんの名前を初めて知ったのは今から五、六年前かな。酒蔵さんのお付き合いや酒屋さんのとのお付き合いから佐賀県の地元で酒屋さんのグループと一緒になって日本酒を伝えて行こうと頑張っていられるという話は何度か聞かされていました。(当時はまさか自分がその瀬頭酒造さんとお付き合いが始まるとは夢にも思っていませんでしたが)
最初は遠い話だと思っていた瀬頭酒造さんの話が
一年半くらい前かな、だんだんと身近になってきました。
自分も徐々に興味は持ち始めていましたがその反面、今頑張っている新潟の酒蔵さんがあるからなぁとも思いました。
ひとつの事もまだやり遂げてないのにまた別の酒蔵さんに目が行っていいのだろうかとの気持ちもありました。
しかし、東長の瀬頭酒造さんと酒屋さんが一緒になって取り組み始めた行動は確実にこの日本酒業界のためになると思うし、結果的に皆さんのためにもなるだろうということは自分の気持ちの中ではわかっていました。

自分がどう動くのか、どう決めるのか。中々行動に移せなかった頃、ある酒屋の会合で先輩がみんなの前で話された言葉が心に残りました。
「旬を知ることが大事。野菜や果物にも旬がある。商いも同じ。その時々で旬があり今何をすべきかが必ずある。常に自分に「今、私にとって何が旬なの?」と問いかけるクセをつけた方がいい」。
動くも動かないも自分しだい。どう動いたかよりも、なぜ動いたかの方がはるかに重要。かみさんと相談しながらある結論がでました。
「まず一回、九州に行ってみよう。そして瀬頭酒造さんと会ってこよう。すべてはそれから」
親にその事を話すと当然ながら何考えてんだという話になりました。それでもうちの親が偉いなと思ったのは九州に行ってみることに関しては了承してくれ、快く(か、どうかはわかりませんが)送りだしてくれたことでした。

もうひとつ九州に行く前にしなければいけない事がありました。
うちが共に生きていこうと頑張ってる酒蔵さんに、ちゃんとその事は伝えなければいけない。それが筋だと思いました。
でも蔵元さんを目の前にすると中々緊張してしまい、思いの半分も伝えられなかったような気がします。

その三日後、いよいよ九州へ行く日がやってきました。自分が日本酒をやろうと取り組み始めた一年後に米百俵の栃倉酒造さんと出会って以来の酒屋としての節目になるような気がしました。かみさんにとっては初めての体験です。
二人で確認し合いました。新潟の外の世界を学ぶことはきっとうちらの肥やしになって結果的に地元新潟でやっていることの力になると。
午前十一時半、飛行機は博多空港に向かって飛び立ちました。


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