ー米百俵伝説ー 点から面 (1995年9月)
《後 編》
「オレだったらおまえたちから米百俵買わないな」尼崎で行われた若手酒屋の会に駆けつけてくれた「元番長」Tさんの言った言葉に皆一同シ〜ン。だって怖いんだもん。
「気迫が伝わってこないんだっぺ。
おまえら、何かをやるということは
死ぬ気でやるという事だぞ」
「そこまで覚悟あんの?」
その言葉で思いだしたのが、Tさん
ある会で新聞記者の方と業界の今後をどうやって良くしていくか議論になった時、お互い白熱しすぎて一晩明け、なんと二晩めも明け48時間に渡って延々と語りあったという都市伝説。
おれは今やっていることのために血尿まで出てるぞ。おまえら血尿出したことあんのか。
根性論を奨励するのではなく俺たちはそれくらいの覚悟を持ってやっているという事を伝えたかったのだと思います。
Tさんたちを中心に会は進行していきましたが、この人達の凄いところは、相手にとって
一番大事なことは何かを常に考えていることです。
例えばちょっとおとなしい人がいたとします。ある人が「カラに閉じこもってちゃダメだよ」と言ったら、すかさずTさんは
「いや、カラに閉じこもる奴を否定しちゃいけねぇ。ヤドカリだってカラを変えて変えて
成長していくんだから」。
話が別の話題に行こうとすると
「ちょっと待て!今の奴の悩みまだ解決してねえぞ。納得するまでやるぞ」。
別の人が悩みのある人にアドバイスしたとき
「いや、今答える言葉はそうじゃないな。○○△△という答えの方がわかりやすいな」。
また、ある人には
「それはおまえに魅力がないからだよ。」「なぜだか分かるか、おまえは格好つけすぎなんだよ。もっと腹を割って本音で話していかないと人と表面的な付き合いしかできないぞ」。
ある時は父親のように叱り、ある時は聖者のように諭し、またある時はただのスケベな兄ちゃんで笑いをとりながら話しを聞いては答えていく姿には凄まじいものがありました。
延々と会は続き、気が付いたら朝の4時半を回っていました。
「今、おまえたちのパワーをヒシヒシ感じる。」「でも、人間弱いものだから現実に戻るとだんだんそのパワーが沈んでいくはず。その時は仲間に会ったり、先輩に会ったりしてまた充電しろよ。それを繰り返していけば必ず自然と個々のレベルが上がっていくから」。
「大丈夫だよ。このメンバーだったら米百俵やれるよ。栃倉さんという人もいい人間集めるもんだ」。
時計は朝の5時を回りました。実は私はその日友人の引越しの手伝いがあり、始発で新潟に
帰らなければならなかったのです。
う〜、まだこの場にいたい。今帰るのは凄くもったいない気がする。
でも切符を買ってあったので仕方なく席を立ちました。
外はまだ真っ暗でしたがYさんから尼崎駅まで送ってもらいました。
Tさん達も凄いけど、考えてみれば尼崎のYさんの声かけでみんな集まって来たんだと改めて感謝しながらお別れを言いました。
帰りの新幹線は死んだみたいに眠ったことは言うまでもありません。
後日、Yさんから葉書がきました。
「先日はご苦労様でした。電車間に合いましたか?新潟でしっかりと米百俵売らないと絶対よくないし、広がらないと思います。一番地元の新潟の酒じゃないでしょうか。見ての通り自分もまだまだです。今後ともどうぞよろしくお願いします。」
その葉書には大胆なとても大きな文字が書かれていました。
「点から面」と…。
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