ミニMiniだっちもね通信
 
 
   2007 立春号    

        ・色々なタイプの酒屋さん
    ・三条市に全国最年少市長誕生
    ・同級会と先生
    ・からすみ
    ・
幕末にロマンを賭けた男河井継之助を考えるー其の参ー
     




《色々なタイプの酒屋さん》


新潟のお茶屋の社長さんの話を聞いた。
東京に面白い酒屋があると。
そこは毎月行くたびに、おすすめの日本酒が変わっていて、それも店内総入れ替え、常に新入荷の酒ばかり並ぶ。
日本酒好きには、たまらなく楽しい店だそうです。
頑張っているなー。色々なお酒が飲めて楽しく活気あるお店なんでしょうね。
小さな酒蔵さんに、真面目にいい酒造りをしているところの多いこの業界。
日本酒文化を伝えていくのは、その地方の小さな酒蔵さんだと確信しています。
そして、色々なタイプの酒屋さんが日本酒ファンを増やしていけばいいと思います。
うちは、その酒屋さんのようにお客さんを楽しませることはできません。
ですが、責任を持って、決めた酒蔵さんの酒を末永くお客様に紹介し続けていきたいと思っております。
なぜならば、そうする事で酒蔵さんの経営も安定し、より一層いい酒造りに没頭でき、その結果うまい酒ができて、お客様に喜んで頂くことができると考えているからです。
今の世の中の流れから言うと古い考え方かもしれませんが、日本酒文化を伝えていく、一つの道だと考えます。
うちにとって、それを理解して下さる方々がいて下さることが、只々感謝、感謝です。

 



《三条市に全国最年少市長誕生》


昨年、11月に隣町三条市に全国最年少の34歳の市長が誕生しました。名は国定市長。
東京の官庁出身の超優秀な方で、地元の期待を担っております。
その国定市長、ウワサによれば、
「日本酒が大好き」
「司馬遼太郎のファン(特に幕末ものが好き)」
「子供が一人で現在3歳」
私が、かみさんに「俺と同じじゃねーか」と言うといつも返ってくる答えが「他はすべてが違う」(そのとーり)
でも、本当に三条市のために頑張ってもらいたいです。






《同級会と先生》

20年振りに高校時代のクラスメイトと担任のS先生とで同級会が行われました。
80歳近くになる先生、乾杯の前に5分だけと言いながら、延々と30分近く話をされ、
「あー、伝えたいことがあんだなー」と熱意がヒシヒシと伝わってきました。
先生は年をとっても、やっぱり先生だったし、クラスメイトも色々な人生をそれぞれ歩んできていることがわかり、とても楽しい一日でした。

 



《からすみ》

知人から「からすみ」を頂きました。
しかし、日本酒との相性は絶妙なんてもんじゃないですね。
普段はどちらかと言うと寝酒派の私も、かみさんと毎日晩酌してしまいました。
日本酒サイコー!
 



幕末にロマンを賭けた男河井継之助を考えるー其の参ー》


皆さんは権力をかさにした人達に、言われなきケンカをふっかけられた場合どうしますか?
降参して大金を払い手下になるか、それとも戦うのか、だけの二者択一を一方的に迫られた場合、どちらを選びますか?
誰もケンカなんてしたくないから和睦を言いたいけど、相手が聞く耳を持ってくれない時…。

幕末の時代、薩長を中心として維新を実現しようとする官軍と、大政奉還した幕府の譜代藩、長岡藩他とに起こった北越戦争がそうだったと伝えられています。

河井はうちは中立だと何度も何度もお願いしましたが、受け入れてもらえず、残る道として恭順(降伏)の道は選ばず、正義のための戦いの道を選びました。(長岡から見た正義)あいつらの方が絶対おかしいと。
(余談ですが、実は米百俵の小林虎三郎も最悪の場合は戦争もやむなしと言ったそうで、それは少しビックリ)

あれだけ時代の先を見る目を持っていると言われた河井が、何も売られたケンカを買わなくても。どれだけ民衆が苦しい目にあうか、何よりも辛かったはずだから。
多分、それは河井の強烈な反骨精神からきたのではないかと思います。
今も昔も人間、長いものに巻かれた方がある意味、幸せなのかもしれません。
でもどうしても河井には薩長のやり方が筋が通ってない。許せないものだったのでしょう。
(事実、日本の歴史はその後、薩長から帝国主義を打ち出し太平洋戦争まで突っ走りました)

今の時代も、仕事において、人間関係において、力を持った者から理不尽な仕打ちを受けることはままあります。
その時どうするかは、それぞれの考え方ですし、わざわざ戦う必要もありませんが、反骨精神というものは大事な事だと思います。
 


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