ミニMiniだっちもね通信

 
   2013 深緑号    



         ・新潟日報 にいがた地酒考 
    ・日向夏をわさび醤油で
    ・王貞治VS江夏豊

    ・八重の桜
     
    
      

 
 
2013にいがた酒の陣は今年も大盛況で土曜日に約5万人、日曜日に約3万人もの方々が来て下さいました。お出掛け下さった皆様、大変ありがとうございました。


《新潟日報 にいがた地酒考》


地元の大手新聞、新潟日報が昨年から今年にかけて、「にいがた地酒考」という日本酒の特集をくまれ、それぞれ「銘醸地への道全9回」「酒 守り磨いて全6回」と新潟の日本酒の昔、現在、未来を検証、展望するというかなり踏み込んだ内容の特集がありました。

毎回楽しみに拝見させて頂き、その通り!と思う点と、そこは違うんじゃないの?と思った点、取材対象がおかしいんじゃないの〜とか色々ありましたが、多分新潟県人として新潟県には、全国いや世界に誇れる酒文化がこんなにもあるんだよという、その気持ちが今回の特集の核となっていると思われ、その点はとてもありがたく受けとめさせて頂きました。

その証拠かどうか、今回平成24年度の新潟清酒の販売数量が16年振りに前年比増加したという記事が新潟日報の1面のトップ記事プラス社会面の3面記事にも詳しく載っており、とても力の入った記事でした。
でも、やっぱり取材対象はスーパーとディスカウントストア。
地酒の8割(推定)はまだまだ酒屋で売っているんですよ〜、新潟日報さん。

 

《日向夏をわさび醤油で》



先日、お世話になっている宮崎県のHさんから「日向夏」という宮崎県特産のブランドフルーツを頂きました。
この日向夏というオレンジ系のフルーツは白皮を付けたまま食べる(りんごを剥ぐ要領で外皮を薄くはぐ)のが特徴で、皮のほろ苦みと実が混じりあって絶妙な美味しさでした。
御礼の電話をHさんにすると
「実は、わさび醤油でもいけるんですよ」
と、衝撃の言葉。
おそるおそる試してみたら、あら不思議ほんとに合うんだわ。
これはデザートじゃなくて言われる通り、酒のつまみだと思いました。
世の中まだまだ知らないことだらけですね。ありがとうHさん。

                  
《王貞治VS江夏豊》  
 
先日、TVで「王貞治VS江夏豊 ヒーロー達の名勝負」という番組をやってましたが、しびれましたね。
プロスポーツは勝ってナンボの世界なのでしょうが、それを超えた男と男の真っ向勝負。
仕掛ける男と受けて立つ男。
まさにサムライ対サムライの一騎打ち。
大体、江夏豊という人は「オールスター9者連続奪三振」だの「日本シリーズ江夏の21球」だの、とかく絵になる派手なことが大好きな名投手でした。

番組では昭和43年にシーズン奪三振日本タイ記録の353個目と日本新記録の354個目を江夏がわざと狙って王から奪いにいった話と(と、言うことは途中の8人にはわざと三振を奪わずに打たせたということ!)
今度は逆に王が打った数多いホームランの中で唯一涙が止まらなかったという思い出の一発の話で、これも売った投手は江夏。(極度のスランプ状態だった王が最後の最後で出た逆転の一発)

数々の名勝負を繰り広げた両雄ですが、王が一番三振を取られた投手が江夏豊で、逆に江夏が一番ホームランを打たれた打者が王貞治なんだそうです。
お互い小細工無しの全力対決だったのだろうと思いが馳せます。
王は生涯ホームラン868本を打ち世界記録保持者ですが、江夏がその年に奪った三振401個も世界記録でいまだ誰にも破られていないそうです。
まさに世界に誇る二人の熱き闘いが、今また時を超えて語り継がれるところが、たまらんですね。


八重の桜

今年の大河ドラマ「八重の桜」いいですね〜。
元来、歴史というものは勝った側から語られがちだったものが、逆賊として無念の敗北を喫した会津側から見た幕末の世界がそこにあり、長州が悪く描かれているとかどうとか言う人もいますが、それはお互いの立場や見る視点によって正義とは変わるもので、お互いが正義なんだから仕方ない。
大体、今まで長州や土佐、薩摩側からの幕末ヒーローものが多かったわけだから、たまには会津が主役でもいいじゃねーかという気分です。


前にも書きましたが(だっちもね2009立春号)あれだけ天皇に尽くした会津藩が、薩長、岩倉の策略により、あっという間に逆賊にされ朝敵(天皇の敵)にしたてられた無念を思うと、いたたまれなかったのですが、八重の桜第16話「遠ざかる背中」の回で、よくぞそういう風に物語を描いてくれたと胸が熱くなりました。

市川染五郎さん演じる孝明天皇が綾野剛さん演じる会津藩主・松平容保と差しで会話をする場面で天皇が直に容保に向かって今までに京都守護職での感謝の意を伝え、容保が心の支えだったことや、先祖代々守り培った重荷の苦しさを真に分かち合えたのは容保只一人だけであったこと、会津から義の重きにつく武士の誠を教わったことを心から天皇が直々に御礼を言う場面でした。
容保は涙を流して感激していました。

この話は多分創作なのかもしれませんが、それくらい天皇容保は信頼関係で結ばれていたのは事実ですし、その部分をわかりやすく物語りとして表現してくれたことは画期的でしたね。
自分の中では八重の桜の核となる一番伝えてほしい部分なのでした。

しかし、この日が容保にとって孝明天皇との今生の別れとなり、20日後35歳の若さで孝明天皇は崩御され(毒殺説有り)そこから会津の朝敵としての悲しい物語が始まるのです…。

松平容保は生涯亡くなられるまで、長さ20cm程の竹筒をいつも肌身離さず持っていたそうで、容保の死後身内がその筒の中身を見てみると、その中には生前孝明天皇から頂いた直筆の書簡が大事に大事に入っていたのだそうです。


 


     次に進む   前に戻る     だっちもね 一覧に戻る 

                    ホーム