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   アイバ屋酒店だっちもね通信

 
   2018 立春号    


    ・あの時の涙    
    ・10年前の酒
    ・村上の鮭
    ・ライン
    ・戦争に思うー其の弐ー
    
    

                              


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あの時の涙

商売をしていて涙がでるほど嬉しいことがあったか?という話題になり、ふとあの時のことを思い出してしまいました。

全然ドラマチックでも内容のある話でもないのですが、今から15年以上前の話。燕のお客さんから三条の方に日本酒セットを届けてくれということで、お中元とお歳暮をお届けしました。

セットの中には当時惚れ込んでいたお酒も入っていて、何回目かにその三条の方にお届けに行った際、呼び止められ

「この酒とっても美味しかったよ。こんないいお酒をいつも届けてくれてありがとう」

と言われ、その時はあ〜嬉しいなぁと挨拶して三条から燕への帰路に向かったのですが、今でも忘れもしない三条燕インターを過ぎた辺りから急に感極まってしまい、涙が溢れ出し止らなくなってしまいました。
自分でもわからないくらい涙がどんどん出てくる。

かみさんに見られると恥ずかしいから鍛錬場(燕少年野球場)の辺りで車を停め涙をふきました。

商人としてあの体験はとても幸せなこと、ある意味原点なんだという事を今さらながら思いだし、これからも頑張らんばと誓った日でした。


 

10年前の酒



故・郷六郎次さんが造った伝統の酒!

ずっと気になってたお酒をいよい
よ飲むことに。10年前の酒です。
2007年12月の米百俵伝統の酒普通酒。(当時にいがたの名工に選ばれた故・郷六郎次さんの作で720瓶6本保存してあった)

それも冷蔵保存してない全くの常温保存、ずっとダンボールに入れてたので光は10年間一切遮断。

封を開けてみる。
薄茶色ではあるが思ったより色は
付いていない。
香りも老ね香は微妙なくらいで、口に含むと一瞬ボヤけて感じたけど2、3日たって日に日によくなってくるではないかい

10年間の眠りから覚めたお酒が穏やかに語りかけてくる。
お燗してみると、お〜なおさらこっちの方がいいかも。程よい甘み
の後の辛さが食欲をそそる。

皆さんちゃんとしたお酒は10年たってもこんなにポテンシャルを保ってるんですよ〜。


         


村上の鮭


先日、村上の〆張鶴・宮尾酒造さんにお伺いした時に「イヨボヤ会館」に寄ってきました。(日本初の鮭の博物館)

村上は鮭が4年かけて生まれた川に帰ってくる習性に着目して、江戸時代に世界初の自然保護養殖の種川を造り(カナダが始める140 年前)乱獲で減った鮭を安定させたそう。
青砥武平治というお侍さんの尽力が大きかったようで、やはり日本は昔から自然と共存しようと努力する民族なんだなぁと感動。


あと全く別の話なのですが鮭の生態が面白い。
さん選びに敗れたオスがメス模様に体を変体させ
(女装?)オスを油断させ、行為の最中奪い取ろうとするそう。
本能とはいえそこまでするか〜。
絶対そうはなりたくないが、たくましさが凄い!
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ライン

2年前にガラケーをスマホに換えたときにラインも始めたのですが、この暮れから12位ライングループでのやり取りというものに初めて参加しております。

(男女のスポーツ仲間で始め、自分から発信しなくてもグループ内の人の会話が全部送信されてくる)

昨今、リアルな仲間とのネット上でのグループ付き合いに対する若者の苦脳や不安、人間関係の悩みなどがよくマスコミなどで言われてますが、あ〜こういう事か〜とその一部分が何となくわかったような気がしました。

例えばグループ内で連絡事項だけならいいけど、 何かの話し合いになった時にどんどん皆から意見が次から次へと出てくるのはいいにしても、自分の意見を打とうと思う頃にはもう次の話題に行ってたり。ノリのいい人に意見が集まったり。

そもそも12人皆がどういう状態かもわからない中でライン上の会話だけはどんどんすすんで行くところがポイント。仕事の人もいれば、運転中の人もいるかも、家族団欒の人だっているかもしれないし、もしかしたらスマホを一日一回しか見ない人もいるかも。

こりゃ若い人達は色々な誤解も招きますわ。私達のような年配者はグループでの対話のノリに付いていけない時があってブルーになったとしても、それは生活や付き合いのほんの数%にもみたない些細な事なんだとすぐに切り替えられるし、実際それでリアルな付き合いは何ら変わらない事も知ってますから全然コントロールできる。    

多分、若い人は世界を狭く考えすぎてしまい様々な不安が不安を積み重ね、落ち込んだり悩んだり不振に陥ったりするんでしょうね。        

ラインなどSNSはあくまで人とのお付き合いの一つの手段でしかないと認識しましょうね〜。 


   
                                

戦争に思うー其の弐ー


以前、司馬遼太郎記念館の上村館長さん(司馬氏の奥様みどりさんの弟さん)の講演会に出掛けた時に聴いた話が、また強烈で戦争っていったいなんなんだと考えさせてくれる話でした。

それは戦争が終わる直前、司馬氏がまだ22、3歳の頃に兵隊として栃木の佐野の辺りに戦車隊の任務についていた時の話。 

その時の作戦として、米軍がもし東京湾か相模湾から上陸して北上、進駐してきた場合、日本の戦車部隊は高崎を経由しながら街道を南下して敵である米軍を迎え撃つという命令が下されていました。

司馬氏は連隊にやってきた大本営参謀に質問したそうです。
「もし東京方面から避難して北上してくる人々が街道にあふれたら、我々とかち合ったら、こっち側に交通整理の方法はちゃんとあるんですか」と。

その時、大本営参謀が言った言葉が
「引き殺して行け」。  
だったそうです。

司馬氏は愕然としたそうです。情けなくなってもうやめたと思ったそうです。我々は日本人のために戦っているんじゃないのか。それなのに日本人を引き殺していけとは一体なんという事なのか。
何でこんな人が命令を下すのか。なぜ日本人はこんなに劣化したのか。
幕末や明治、戦国の時代の日本人、武士はもっと違ったんじゃなかろうか。

それが司馬氏が歴史に向かい合おうと思った原点だったんだそうです。

そう言うとまた極右の人はそれは自虐史観で、司馬氏のその体験も本当にあったことなのかどうなのか信憑性にかけるだとか、大東亜戦争は崇高な戦いで誇り高い日本人はそういう事をするはずがないとか言いそうです。

私が言いたいのはそういう事じゃなくて、先回号のインパール作戦の指揮官といいこの「引き殺せ」の指導者といいトンデモ野郎は悲しいかないたんじゃないでしょうか今の世の中だって素晴らしい人もいれば、人間のクズのような人もいるし、いつの世だってそうなんだと思います。

太平洋戦争当時だっていい指揮官もいれば、そうでないのもいた。
その一部分だけ切りとって、やれ日本軍がそんなことするはずがないとか逆に日本軍はひどいとか両極端の偏った風潮に危険を感じます。

日本人として日本に生まれてきたことに誇りをもって、でも色々な考え方があることを受け止めながら、ここは違うけどここは同じとか客観的に物事を見る事がこれからより一層大事になるのではないかと私は感じます。
                               

   
 


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