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   アイバ屋酒店だっちもね通信

 
   2017 立冬号    


    ・日本酒五銘柄    
    ・ブルーインパルス
    ・危険運転
    ・タイムマシン
    ・戦争に思うー其の壱ー
    

                              


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日本酒五銘柄

当店はお酒の銘柄数は米百俵、鶴の友、〆張鶴、菅名岳、八海山の5銘柄しかありません。
でもたまにお客さんから
「色々飲むけどやっぱアイバ屋さんのすすめる酒が一番うんめわ」とか
「おめっちはいい酒しか置いてっけ安心できるわ」とか
「今年飲んだ酒の中で3本指に入る美味さの酒でした」とか有難いお言葉を頂くと嬉しく嬉しくてたまりません。
うちは色々な酒を幅広く提供することはできませんが、これからも何卒よろしくお願い致します。
 

ブルーインパルス


埼玉県にある航空自衛隊入間基地で行われた「入間航空際」に行ってきました。

色々な飛行機が飛び回ってましたが、生まれて初めてブルーインパルスというものを拝ませて頂きました。約30分にわたるブルーインパルスの航空ショーは凄い迫力とスピード。
古くは東京オリンピックでの開会式で大空に描いた五輪の輪、あの時代から今のT−4は3代目の機種になり、卓越した飛行技術を皆さんに披露することを目的とする独立した部隊として活躍しているそうです。(3年間限定だそうで、任期が終わるとまた別の部署に行くそう)

それにしても入間航空祭、入場無料なんで人の数が…。
21万人が一ヶ所に一気に集まるとこうなるんですね。もう動けない状態で人に酔ってしまいそうでした。
お昼も一番前の席まですすんだ仲間は食べることができず、後方にいた私たちはお昼の出店に1時間弱並んでやっと300円のチョリソーい1個が食べれたくらい。

その人の多ささえ我慢すれば一生に一度は見る価値有りの素晴らしいものでした。



         


危険運転


最近、車の危険運転、あおり運転などがとても問題になってますね。
私も忘れもしない今から二十年弱前、大阪USJにかみさんと夜中に車を走らせ行った時の事怖い体験をしました。

それは京都に入ったあるところでの話、信号が赤から青に変わっても動かない黒いセドリックがいました。
私はその車の後ろの後ろにいたのですが、私の前の車がクラクションをブーブーとならし、とっとと左折していなくなり、セドリックは今度はあまりにも鈍い運転を始めたので、遅いなーと私はヒューッと追い越したらさあ大変。

そのセドリック狂ったように追いかけて来る。

二車線になり信号が赤になり止ったらセドリックから怖い兄ちゃんたちが出てきてこちらに近づいてきました。

かみさんと楽しく旅行してるのになんでこうなるんだ〜と思った瞬間!
信号は青に変わった!

スタートダッシュするしかないですよ!
当時私はスカイラインの32型に乗ってたんで走るのは好きだったのが幸い。セドリックは付いてこれずなんとか振り切りました。(今だから言うけど百○○kでてたかも)

大阪USJには朝明るくなり着きましたが入場するまで追いかけてくるんじゃないかとドキドキしましたけどね。

皆さんクラクションと(私は鳴らしてない〜)追い越しには充分気をつけましょうね。


 

                  
タイムマシン  

いつの日かタイムマシンってできるのだろうか。
皆さん知ってました?タイムマシンって未来に行くことと過去にいくことって全くの別のこと別物だっていうことを。

未来に行くということは理論的には全然可能なんだそうです!
理論的には!ですよ。
そうなんです。アインシュタインの相対性理論です。
人類がもし光の速度で動ける乗り物を作りだせたなら。一日24時間、光の速さで宇宙を回ってきて地球に帰ってくると地球は10年、時がすすんでいるんだそうです。

じゃあもし一年間、光の速さで宇宙を旅してから地球に戻ってくるとどうなるか。
なんと単純計算で3650年後の地球に到着しちゃうんです。
凄いですね〜。まさに浦島太郎ですね〜。
ただ、今のところ人類が生み出した一番早い宇宙船でも光の速さの0.02%しか出せないということなので、まだまだず〜っと先の話なのは言うまでもありません。

ちなみに過去に行くのは理論上でも格段難しいんだそうです。まずタイムパラドックスの問題。(例えば過去に行き自分の祖先、親を消しちゃうと自分もいなくなってしまう事)
ある理論物理学者は爆発で時間を歪めればだとかワームホールとワームホールをつなげればだとか言うけど、大体ワームホールが存在するかどうかもわからないし。

でもそういうことを考えていると夢があって楽しいですよね。

          

                                

戦争に思うー其の壱ー


夏頃のNHKスペシャルで太平洋戦争特集「戦慄の記録インパール」という番組をやっていました。

太平洋戦争史上でも一、二を争う最悪の作戦と言われ、また一部の方からはおかげでインドの植民地独立が早まったとの声もありますが、どう考えてもそれは結果そうなったというだけの話で客観的にみても最悪の戦史のひとつ。

このインパール作戦を簡単に説明する事などとてもできませんが、あえて言えば1944年の戦争末期、旧日本軍がビルマからインドのインパールとコヒマを目指したという作戦です。

それは9万人もの大軍が徒歩で大河を越え、500キロにも及ぶ2千M級の山々やジャングルを越えるというもので、その無謀さに多くの人が作戦を止めさせようとしたのに、牟田口中将を中心とした愚将たちによって無理強引に決行されたうえ、兵にとっては何より大事な食糧補給を最初から考えてないという呆れてしまうくらい最悪の作戦だったのです。
(対するイギリス軍は空からの食糧投下で補給遂行)

死者は3万人以上と言われてますが、実は戦死した兵は半分以下で殆どが病死、餓死、衰弱死という、それも撤退命令が遅れに遅れた後の雨季のジャングルで起こった出来事だったのです。その道は白骨街道とも呼ばれました。一方、指揮をとった牟田口中将という男は大勢の兵を現地に置き去りにして、自分だけ逃げ、生き残り、戦後は「あれは私のせいではなく、部下の無能のせいで失敗した」などと自己弁護の活動を死ぬまで続けたといいます。

また当時、司令部の記録係をしていた斎藤氏(現96歳)の証言と当時の日記によれば、現地での上官たちは平気で「何千人殺せば(敵でなく味方)どこがとれる」だとか「5千人死ねば成功する」だとか自分達の部下の兵をまるで虫ケラを殺すかのような表現をすることを度々目撃し、今でも許せないと涙を流されます。これは自虐史観ではありません。

旧日本軍には素晴らしい軍人もたくさんいたのです。が、こんな男たちが上層部にいたということもまた事実でしょう。 悲しいかな。

司馬遼太郎の有名な話を思い出しました。それは司馬氏が徴兵された若い頃の戦車兵だった頃の話…。                                          つづく

   

                               
   


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