ミニMiniだっちもね通信
 
 
   2008 深緑号    
           
     ・新潟 酒の陣
  ・河井継之助「NHKその時歴史が動いた」に登場!
  ・パンデュモニュームという名の蘭
らん
  ・司馬遼太郎
   





《新潟 酒の陣》


3月15、16日と朱鷺メッセで「新潟・酒の陣」が行われました。県内約90の酒蔵さんが出店し、酒を振舞い、2日間でなんと7万5千人以上の人が(前年比120%以上)来場したそうです。
会場で気がついたのは、外国の人が多くなってきたことと(ロシアのTV局も取材に来てました)若い人が多い(女性を含めて)ことでした。

辺りを見渡すと、デッキで川風に吹かれながら、プレ花見?(宴会)をやっているグループも何組かあり、あれはあれで風情を感じ微笑ましい光景でした。
それにしても、あれだけ大勢の人が休日の昼間から顔を赤らめながら、楽しんで酒を飲み、ほろ酔い気分でいられるという、これはまさに文化水準の高さの証明のような気がしました。
もっと言えば、この日本まだまだ平和なんだなぁとついつい酒を飛び越えて色々んなことを考えてしまう私でした。まっ、とにかく酒っていいもんですね!

 



《河井継之助「NHKその時歴史が動いた」に登場!》

先日、「NHKその時歴史が動いた」で河井継之助が取り上げられました。個人的にはもっと違う角度から描いてほしかったのですが、それは私の主観なんで…。
これをきっかけに一人でも多くの人が継之助に興味を持って頂ければ。それにしても幕末様々な志士がいれど誕生の地(新潟県長岡市)と終焉の地(福島県只見町)と、2県にまたがり記念館を持っているのは継之助くらいで、その部分は坂本龍馬(誕生の地はあれど終焉の地は碑のみ)を超えてしまいました。(笑)


※後の調べで北海道函館に坂本龍馬の記念館があることがわかりました。(高知と2県)が、やはり誕生と終焉の地に記念館をもつのは継之助だけだと思います。





《パンディモニュームという名の蘭
らん


趣味が多才な空ビン問屋のHさんが先日、花を持ってきてくれました。
「これは虫を食べる花?」
と言う私にHさん呆れ顔で、違う違うこれはパンディモニュームという蘭の一種で、中でもとても珍しいものなんだ。大体、蘭というものは○△□ZY……延々と熱い話が続き、蘭ひとつで話をここまでもっていけるHさんに感心していたら、丁度銀行員のWさんが店を訪れました。
「あっ!これ知ってる。ハエを食べる花でしょ!」
Hさん、コケながらも、また一から一生懸命話をしている姿を見て、とても哀愁を感じました。


 



《司馬遼太郎》

先日、大阪の司馬遼太郎記念館の上村館長さんの講演会が長岡であり行ってきました。
上村館長さんは司馬氏の義理の弟にあたり、近くから司馬氏と接してきた側近の一人だと言えます。
司馬遼太郎…。亡くなって10年程たちますが、未だに人気の衰えない歴史小説家です。
司馬小説の美点は人それぞれ違うと思うし、人に押し付けるものではないので多くは語りませんが、私は司馬小説によく出る、背すじのピンとしたというか、人間の凛とした「生き様」が好きですね。
司馬小説はあえてか人間の挫折や、ドロドロとした内面の部分とかあまり深入りしてないと思います。それは司馬氏の優しさからきているのかどうかわかりませんが、どちらかというと
「なぜ、そうなのか」とか人間が「どう考える」とか「どう行動する」という客観的な目線から物事を見ていたのではないかと思います。
そこで好みが分かれるというか(司馬氏に対し)年齢や性別によっても違うだろうし。

で、肝心の上村館長の話ですが、
「司馬遼太郎は月明かりでものを見ず、太陽の下でものを見た人間」だと言ってました。
(多分、一部分だけ見るのでなく、全体として相対的に見るという意味か?)
あと、歴史を巡る旅が好きで、実際その地に立ち、空気を吸い、地形を見るのが好きだったそうです。(私だったらあの山を攻略し、この川を利用するとか考えたのかなぁ)

未来の日本については「いかに美しく停滞させていくか大事」と言ってたそうです。
(美しい停滞とはいったい何か?経済ではなく、文化や自然を大切に皆が質素に暮らそうということか?いやでも司馬氏は案外合理主義だし商品経済の発展は肯定的だったしなぁ)
まぁ、よくはわかりませんが、司馬遼太郎という人は想像するに、自分に厳しく、好奇心旺盛で基本的にはあったかい人だったのかなと思いました。
司馬氏は亡くなる前に未来を担う子供たち宛てに「21世紀を生きる君たちへ」という文を
残しました。これはもう素晴らしい内容です。日本の宝物です。



 


     次に進む   前に戻る     だっちもね 一覧に戻る  

                    ホーム