ミニMiniだっちもね通信

 
   2011 深緑号    

         ・清酒 〆張鶴
    ・金八先生ファイナル
    ・橋本大地プロレスデビュー
    ・可憐でたくましい雪割草
    ・靖国神社
      

 
  3月11日に発生した東日本大震災におきまして亡くなられた方々への
 ご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様とその家族の皆様
 関係者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
 一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。

《清酒 〆張鶴
しめはりつる

かみさんと村上市、〆張鶴の宮尾酒造さんにお邪魔してきました。
11代目の専務さんと営業のSさんが出迎えて下さり、蔵の中を見せて頂きました。
丁度、〆張鶴「花」の仕込み中で、驚いたのは普通酒である「花」でさえ、タンクの発酵温度の低温度が徹底していてビックリしました。
すべての酒において目が行き届いているのですね。
あと、蔵内の整理整頓が徹底しており感心しました。かみさんは蔵でしか飲めない「しぼりたて」のお酒を頂いたようで、とてもご満悦のようでした。
 


《金八先生ファイナル》

ドラマ金八先生が32年間の長い教師生活にピリオドを打ち、この度最終回スペシャルが放映されました。
年代によって見ていた金八シリーズが皆さんマチマチだと思いますが、私たちは金八先生が始まった時、丁度中学3年生だったんで、1、2シリーズなんかはまさにドンピシャリでした。
特に2シリーズでの加藤優の「腐ったみかんの方程式」や「卒業式前の暴力」なんて何十回も見ては泣いたことか。

今から思うと高校一年のあの時期に、あのドラマで、あの話で人として何が大事かという事が、おぼろげに心のどこかで決定されたような気がします。
(もちろん行動はともなっていませんでしたがね)
金八先生、長い間ご苦労様でした。




《橋本大地プロレスデビュー》

2005年、40歳の若さで亡くなったプロレスラー橋本真也さんの息子さん橋本大地くん(18歳デビュー時高校生)が3月6日両国国技館にてプロレスラーとしてデビューしました。
記念すべき橋本大地くんのその勇姿を、この目に焼き付けたいと思い会場まで足を運びました。
一万人以上も集まった熱い空気の両国国技館。
いやー、涙、涙、また涙でしたね。
選手入場の時に亡きお父さんの、あのテーマ曲が♪チャンチャーン、チャカチャチャーンと館内に鳴り響いた時にはもう顔面グシャグシャで大変。(私が)
対戦相手はお父さんの親友、蝶野選手がかって出て、試合中蝶野選手の魂のこもった技々に大地くんがやられても、やられても一生懸命に立ち上がろうとするその姿にまた涙。
結局試合には負けましたが、その後にドラマ。
もう一人の盟友、武藤選手もリングに上がり、大地くんに熱いエール。闘魂三銃士の熱き友情にまた涙。
いや〜、プロレスっていいもんですねー。

日本のプロレス史上、これほど関係者やファンから大事に、愛されデビューを飾った選手って多分初めてだと思います。
試合後に高校の卒業式を迎えた18歳の青年が、これからファンに夢と感動を売る立派なプロレスラーになっていくことを心より願っております。
頑張れプロレスラー 橋本大地!

 


《可憐でたくましい雪割草》

いつもお世話になっているSさんから4年程前に頂いた雪割草が今年も可憐な花を咲かせました。
雪割草は日本国土の中でも分布地区が限られており、雪が溶け春がやってくるとともに花を咲かす新潟県ではとてもポピュラーな山野草です。

この冬にほとんど、手入れをほったらかしにしてしまって、葉も枯れ気味でこれはやばいかな〜と思っていたのですが、春になるとちゃんと綺麗な花を咲かせました。
可憐で、そしてたくましい雪割草でした。



《靖国神社》



 多分、人生の中で最初で最後かもしれない靖国神社に行ってきました。
入り口の大村益次郎(長州の軍人)の銅像を下から見上げた後、のんびり散策。
靖国神社は幕末の戊辰戦争で天皇の錦をかかげた官軍の戦死者を英霊として祀ろうということが始まりだったようですから、賊軍である徳川幕府や会津藩、東北諸藩など、長岡藩も当たり前ですが祀られていることはありませんでした。


本殿北側に遊就館という戦争資料館がありまして、幕末ー明治ー昭和という時代で日本の軍がどう歩んできたのか、その流れというものが把握でき中々勉強になりました。
日清、日露戦争で勝利し、満州、朝鮮、台湾など領土を広げ、最後は太平洋戦争で連合国にこてんぱんにやられたわけですが、なぜ?と色々考えさせられました。
戦争のことをわからんくせに軽々と口にするつもりはありませんが、日本は「足るを知る」の精神(それこそ武士道)を尊重していれば…。
調子にのって拡大路線を突っ走らなければ戦争にまでは行き着かなかったような…

(最初は欧米も日本に寛大だった)
また、その頃世界は領土拡大が当たり前という世の中の流れが終焉に向かっていたのに、日本はそこにすべり込みで入りたかった?(列強諸国の仲間入りがしたかった?)
今で例えてみれば、欧米があれだけ核軍備を行っていながら、これから後進国?が核武装しようとすると、ハイダメですよ、平和のために言う事きかないと制裁しますよー!
ってかんじで、いつの時代も強者は勝手なもんなんだ。

なんて色々なことを考えながら遊就館の展示を見て回りました。

でも、あそこはキツかったなー。戦場から家族や恋人に宛てた、たくさんの想いのこもった手紙は…。
ちょっと見ただけで込み上げてきて、とてもまともに見る事ができませんでした。


 


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