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     ミニMiniだっちもね通信

 
   2014 立冬号    


    ・美しい時間    
    ・坂道の信号交差点

    ・PTAコーラス
    ・ルミネよしもとにて
    ・幕末の風雲児 高杉晋作 

    
    
      



美しい時間


今年、5月に燕市宮町商店街にオープンしたキャフェ&バー「美しい時間」が中々おすすめのお店です。
お昼はキーマカレーや季節の旬のパスタなどの自慢の手料理でおもてなし、夜は洒落たバーに変身。カクテルやワインなど充実したドリンクが心地よい酔いを誘います。

オーナーの金子美奈子さんは若いのにしっかりとした考え方で、昭和のムードが漂います。
女子会も大歓迎だそうで目の離せないお店が、燕商店街のど真ん中にできました



 


坂道の信号交差点


いつ頃からだろうか。
夜の坂道の信号交差点で停車している対向車がライトを消さなくなったのは。
あれ眩しいですよね〜。坂になるとライトの光線がちょうど目に入ってくる場合がある。
記憶が確かならば、今から15〜20年位前は夜の坂道の場合、7、8割方の車がライトを消していたような。
何でなんだろう?
ライトの性能が向上したおかげ?
それとも警察が信号待ち停車時はライトを消さなくていいと指導したからか?
理由があるなら知りたいな〜。




PTAコーラス


先日子供の通っている学校で音楽祭が行われました。
子供たちの純真な唄声と一生懸命な演奏に心が洗われ、先生のだしもののエレキテル連合に大笑いしましたが、PTAも例年通りコーラスを披露しました。

今年は流行の「アナと雪の女王」メドレー。
そして、歌終了後に妖怪ウォッチのテーマ曲のゲラゲラポーを皆で踊りながら席に帰るというタイムリーな企画でした。
が、そのゲラゲラポー、練習の時に教養部副部長から「おもいっきりガニ股でポーして下さい」と指導を受け、そういう踊りかと信じて本番でも精一杯ガニ股でゲラゲラポーをやったら、家に帰った時、子供に「お父さん妖怪ウォッチの踊り違うよ。すごい恥ずかしかった。」と言われ二人でユ
チューブでゲラゲラポーの踊りを確認すると、全然ガニ股じゃないじゃん。ポーはカッコいい踊りじゃん。

なんだ恥ずかしいなぁと思いましたが、世の中よくしたもんでその後、先生方やPTAの皆さんからあのガニ股よかった、笑えたとお褒めの言葉を頂き、皆さんに喜んでもらえたならガニ股でよかったと教養部副部長に心からカ・ン・シ・ャしました。



 
                  
ルミネよしもとにて  


町内会の旅行で新宿ルミネよしもとに行ってきました。
幹事さんのおかげで前から2、3列目の席で出演者の顔の表情までよく見れてとても良かったです。

ロザン、千原せいじ、FUJIWARA、博多華丸・大吉、テレビを賑わす人気芸人が笑いをキッチリととった後、締めのメインは「トミーズ」。

正直、最近あまり見てないし、若い人は知らない人が多いんじゃないのと心配したら大間違い。
さすがです!
一番面白かったし、一番受けていた。(一緒に行った町内会の人も皆そう言っていた)
まさに取りに相応しいベテランの味。マスメディアに出てようが、出てまいがそんなの関係なく、ライブで目の前のお客さんをトコトン喜ばすプロの凄みを見ました。

                             



幕末の風雲児 高杉晋作


幕末、坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、河井継之助、新選組などなどヒーローが多数出現した日本ですが、その中でも異彩を放っているのが吉田松陰の弟子、高杉晋作。

高杉晋作っていったい何をした人なの?

たくさんのエピソードがあって、もうジェットコースタームービーのように次から次へと何かが起こる(起こす?)人生の中に身を置き、まるでドラマのような28年の短い人生を送った晋作のひとつのお話です。

幕末の長州藩は結果的に薩摩と組んで倒幕から維新の立役者でしたが(そうなるべくクーデターを起こし藩革をしたのが晋作)そうなる直前、長州藩は天国を味わったり、地獄を見たり狂気に満ちた行動をしており、外国に対しても暴発し武力衝突。
今では信じられない「山口県対イギリス、フランス、オランダ、アメリカ連合軍」という事態にまでなったのです。ありえないですよね。

晋作も昔は英国公使館焼き打ちという過激な行動をしたこともありましたが、そんな勝ち目のない戦争を起こすはずもなく、逆に戦争推進派から捕らえられ投獄されていました。
当然、長州藩は戦争に負け、戦勝四ヶ国は多額の賠償金とそれなりの償いを要求してきて、どうしていいかわからない藩がすがったのは牢獄中の若干25歳の晋作でした。

こうして講和交渉の大役に選ばれた晋作はばかでかい烏帽子頭に派手な陣羽織、まるで中世の源平合戦の錦絵のような大袈裟な格好で登場!
そこに居合わせた外国人はまるで魔王のようだったと語っており、態度もでかかったそう。(負けたのは長州なのにね)
交渉も気合負けすることなく互角に対応、賠償金は攘夷を掲げた幕府から取れとか。
中でも特筆すべきはイギリスがほしがった彦島を晋作は、なぜそんな小さな島を大国がほしがるかを隣国「清」を見て知っており、その要求に対しても「そもそも日本という国はタカマガハラから…イザナミ、イザナギと…」と、突然延々と古事記・日本書紀の日本の神話の講釈を始め、呆気にとられた四ヶ国側に対して、ただならぬ雰囲気で話す晋作に最後は相手が根負けして彦島の件はあきらめたという、まさに日本の領土を交渉?で死守した話が伝えられています。

晋作の子分?で、いつも手足のように動いた伊藤俊輔は、後の日本の初代総理大臣・伊藤博文で、晋作を「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と敬愛しており、後年彦島を回顧したときに「高杉がいなければ日本は列強の植民地になっていたかもしれない」といった意味のことをしみじみ語ったと言われています。

                           


                               
 


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