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アイバ屋酒店のだっちもね通信 |
2022 立秋号 ・ユーチューブでました。 ・SNSには気を付けよう ・燕三条のコインは「めたる」 ・エル・デスペラードと叔父さんの話「寺泊編」 ・峠ー最後のサムライー |
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《ユーチューブでました。》 新潟市在住のクリエイティブアナウンサー峯島百代さんがクラウドファンディングでご自身の運営するYouTube番組 「てんと点」をこの7月より立ち上げました。 今までラジオパーソナリティとして300人を超えるゲストの人にインタビューをしてきて新潟には自分の仕事の対して誇りと情熱を持っている人達がたくさんいることを知り、新潟の輝く「ひと」をYouTubeにて紹介して行きたいとインタビュー番組「てんと点」を作ったそうです。 峯島百代さんの人間力からくる中身のあるいい番組になってます。 また、誠に光栄なことにアイバ屋酒店が第4回目のゲストに選ばれ色々とお話をさせて頂きました。 お時間ある方、よかったらYouTube「てんと点」をご覧になってください。 チャンネル登録やいいねもして頂くとめちゃ嬉しいです。 |
《SNSには気を付けよう》 インスタグラムでロンドンHNSトラストという病院で医師をやっているカレンさんという35歳の女性が突然フォローしてきた。「貴方の写真がとても綺麗」だと。 こちらが聞くわけではにのに「父はイギリス人で母は品川の生まれのハーフ」「もっと貴方のことが知りたい」と積極的に迫ってくるのです。 鼻の下をのばしたい部分と、こりゃちょっと怪しいという部分と両方が混在し、HNSトラスト病院を調べたら本当にある病院だし、投稿写真も医療服有りのそれらしい写真がまぁまぁ本当ぽい。 その後も色々と聞かれた後、 「ラインでゆっくりお話がしたいからラインIDを教えてほしい」 ときました。 やっぱり怪しすぎると返事をしないでいるとまた翌日もしつこく同じことを言ってきたから嘘で「ラインはやってないんです」と答えると、もう早いもんですよ、速攻でフォローを外されました。 やっぱりそういうことでしたね。 いわゆるスパム目的で、インスタなどを入口としてまずはラインで友達となり、ある時「スマホが壊れたからここに直接メールをしてほしい」とか言ってくるそうです。 そこをクリックしようなもんなら迷惑メールの雨あられ、個人情報搾取などの恐ろしいことが…。こわい、こわい。 最初は美人に見えたその顔も、よく見ればカルロスゴーン似の顔でした。 |
《燕三条のコインは「めたる」》 若い人は考えることが違うなぁという取り組みが始まりました。 燕三条地域で人と人との交流や体験を通して使える、街のコイン「めたる」が登場しました。 お店や施設が用意したSDGs体験をしながら「めたる」をもらったり、あげたり、スマホだけあれば何でもできます。まずは上のQRコードでアプリをインストール。 当店もお金になる空ビンを教えるとかお酒試飲で参加してます! |
《エル・デスペラードと叔父さんの話・寺泊編》 プロレスラーの武藤敬司氏が最近のプロレスは二人でダンスを踊ってるみたいだと言ってましたが、そこは私も感じていて、あまりにも綺麗すぎるというかレベルは昔より高いのは分かりますが、その分予定調和的なところが往年のドロドロした人間ドラマが好きな昭和のプロレスファンからするとちょっと物足りないなと感じることが多々ありました。 しかし皆さん安心して下さい! 昭和のプロレスファンをも満足させてくれるレスラーがいました。 それもジュニアで悪役! 新日本プロレス鈴木軍のエル・デスペラード選手です! 昔アントニオ猪木が言っていたプロレスは自分の人生や生き様をリングの上で表現することだというイズムを受け継いでいるレスラーのうちの一人です。 具体的なことはここでは書きませんが彼の行動、マイクパフォーマンス、下積みからのチャンピオンへの成り上がりはまさにプロレス的。 ところで実はデスペラード選手は新潟県の出身で叔父は高校教師をしていました。 M先生といって私の通っていた高校でもろにかちあいました。 ここでは言えない程の数々の伝説を残した先生で、当時遺恨が生まれた高校時代仲間と原チャリでM先生の家の前まで行き 「〇〇のバカヤロー!」 と大声で叫んで逃げ帰ったりもしました。(翌日にM先生とグラウンドでバッタリ会い「相場〜、寺泊まで来てっなや」と言われた時は体が固まりました) M先生、今は寺泊で旅館を経営している大社長になっております。 今思えばM先生の良くも悪くもあのパワーと胆力そして口の悪さは甥っ子のデスペラード選手に通じているのかも。 エル・デスペラード、注目です! |
《 峠ー最後のサムライー》 役所広司主演、映画「峠ー最後のサムライー」見てきました。 率直な感想は! う〜ん、おれオレらは原作を読んで話の内容も前後もわからからいいけど、今回初めて河井継之助を知ってどれだけ立派な人なんだろう?坂本竜馬にも負けない人がいたって本当?と凄い興味を持って映画を見に行った人たちはどう思ったのかな?と正直思いました。 今はネットで色々な人の映画レビューが簡単に検索できる時代になりましたが拝見すると、あ〜やっぱりなという感じでした。 「どんな凄い人かと期待して見にいったけど結局は負けたんかい」 「偉そうにしてた割りにたいしたことないんだね」 映画としての評価も散々な酷評の数々です。 ひとつだけ継之助の名誉のために言いたいのが、小千谷談判であの時代に中立を主張するなんてバカげているとう見方もあるかもしれませんが、当時世界では国際法で中立という権利が認められていて、幕末日本にも万国国際法という本が入ってきて翻訳され始めており、数少ないこの本を勝海舟や坂本竜馬らと共に継之助も手にしていたことは間違いなく、もし継之助の談判の相手が岩村のような青二才でなく、西郷や大久保のような大物だったらまた違った展開になった可能性もあったと言われております。 河井、おまえはいったい何者だと。人物は人物を知るものです。 (実際、後日に西郷隆盛が継之助の存在を知って惜しい人を亡くしたと言っております) 司馬遼太郎原作「峠」は上、中、下巻に分かれており今回の映画では下巻の戦争の部分だけを中心に描かれました。 2時間の枠で映画化すると仕方ないのかもしれませんが、あれを逆に上巻、中巻の継之助の青春群像、陽明学からくるハチャメチャな行動、女好き、江戸西国への遊学、小林虎三郎とのライバル関係、赤字の長岡藩を黒字に立て直した話、などなど物語の視点を全く変え、どこか憎めないお茶目なそれでいて鋭い政治手腕を発揮した継之助の人間ドラマに主点をおき戦争に負ける話は最後に結果だけとういう流れにすればもっと観客は継之助に対して感情移入できたかも。つまりもっと感動がそこから生まれたかも。 実際林修氏を始めとする継之助ファンの多くの人はその部分から完璧でなくてもどこか魅力的な継之助像に惚れていったのですから。 な〜んて偉そうなことを言ってますが、只の継之助好きの戯言という事で! |
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